僕が少年だった昭和は、シネコンなどというものはなかった。市川崑監督の『犬神家の一族』(同監督がリメイクしたほうでなく、1回目の作品)を観たのは、浅草東宝だった。
浅草東宝は、長いエスカレーターに乗って客席上部から入場する映画館だった。前方に立ちはだかるスクリーンはダムのごとく巨大で、湾曲していた。
中学生だった僕は、父と一緒に『犬神家の一族』を観た。大量宣伝がテレビCMに投入されたためか、満席だった。そのため、物語の途中から立ち観をし、上映終了後に、今度は座って、さっき観た物語の途中までを鑑賞した。映画館が入れ替え制でなかった当時、よくそういう乱暴な観方をしたのである。
一度は物語の結末までを目撃しているわけだから、当然、連続殺人事件の犯人が誰かを僕は知っていて、物語を最初から観ているわけである。しかし、そんなことは、もはやどうでもよかった。僕はこの『犬神家の一族』にすっかり魅了されてしまっていた。
翌週、今度はひとりで浅草東宝に出掛けた。それが、僕がひとりで映画館に通うようになった最初だった。
今度は、新聞で上映時間を確認していった。開場前に切符を買う列に並んだので、席を確保することができた。物語の最初から最後までを通しで、2回目の『犬神家の一族』を観た。そして、立て続けに3度目を鑑賞した。
中学生の僕をそんなにも魅了したのはなんだったのか? 観客の残酷趣味を満足させる猟奇的殺人場面をコメディーでつないでいく構成の妙か? それとも全編に漂うエロティシズムか? もちろんそれもある。だが、少年ウエノを捉えたのは、石坂浩二が演じる金田一耕助という探偵の孤独感と客観的な立ち位置だった。
以来、金田一耕助に会いたくて、その後の映画シリーズも観たし、横溝正史の小説(金田一が登場するものだけ)も読み漁った。思えば、僕の読書体験の原点はここである。
以後、高校時代には探偵が登場する小説を数多く手にした。日本のミステリでは都築道夫氏が想像したキリオン・スレイや物部太郎、泡坂妻夫氏の亜愛一郎(あ・あいいちろう)のファンだった。翻訳物では、名探偵の始祖オーギュスト・デュパンのほうがシャーロック・ホームズよりも好みだった。そして、ハードボイルドではフィリップ・マーロウ、アクションアドベンチャー系ではスペンサーに魅せられた。
そして、『ご近所トラブルシューター』で、僕なりの探偵を登場させてみた。ある事情で警察官を辞め、株式会社近隣トラブルシューターに再就職した48歳の一絵亮(いちえ・りょう)は、家族を愛し、酒食を愛する人間探偵になった。
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