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/ 上野 歩
monthly essay / ueno ayumu

ぴー吉 第191回 春景色

 花見の誘いを断った週末、父の七回忌の法要をしたところから春は始まった。
 ほんの身内だけで焼香し、新宿の割烹で献杯した。
 東京はこの日、桜が見頃を迎えた。

 温泉に入りながら花見ができる宿があると折り込みチラシで知り、地元観光会社のバスツアーで日帰り入浴に出かける。
 山梨県は甲府の市街地を見下ろす小高い住宅地にある神の湯温泉がそれだ。

 朝までの大雨で、南アルプスの山頂には雲がかかっていた。それでも青空の下、富士山が部分的に姿を覗かせている。
 露天風呂から眺める宿の中庭の桜は、東京から数日遅れてこの日がまさに満開だった。
 たわわといった表現がしたくなるほどに、枝がしなうように重く花をつけている。それが、時折吹く風に揺すられ、雪のように花びらを舞い上がらせる。運ばれてきたひとひらが、湯の上に落ちた。
 先月「東北秘湯紀行」で書いた不老ふ死温泉の日本海に面した岩場風呂とはエライ違いである。アチラは、打ち寄せた荒波が運んできたテングサが湯船に浮かんでいた。
 いやいや誤解しないでいただきたい。アチラはアチラ、コチラはコチラの風情がある。そういうことだ。

 湯上りに食事処でビールを頼むと、サッポロ生の黒ラベルが大瓶できた。亡き父が愛した銘柄である。
 料理に舌鼓を打ち、冷たいビールをごくごくと喉を鳴らして飲む。
 窓の外の桜を眺め、とうとう本当の春がやってきたのだという実感を味わった。

挿絵
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